留学によって切り開く私の人生−努力の大切さ

松本大学総合経営学部総合経営学科1年 チャン・ユヨン

 小学校の2年生のころ、ある日授業で先生がおっしゃった。「人は努力すれば乗り切れないものはないでしょ。皆さんがよく知っているトマスエディソン(Thomas Alva Edison(1847~1931)は1% の霊感と99%の努力があれば、自分の望んでいることはいつか必ず叶うと私たちに教えています。」と。私は心の中であざ笑ってしまった。「努力なんかとっくにやめている。馬鹿なことばかりおっしゃっている先生が、私は尊敬を抱くどころか、むしろ本に書いてある字を読むだけのロボットのように感じた。自分の国の韓国で暮らしていた時、私は一縷の望みもない生活を繰り返していた。そのせいか努力という言葉は私にとっては金持ちの子供だけにふさわしいと思っていた。
 小学の4年生になった時、父の勝手な行動や考えに従って、家族はバスが1時間1台来るかこないかのような、また冬になったら学校に行きたがる子供たちの気持ちを裏切り、気楽に休んでしまうようなバスとバス停がある田舎に引越しをせざるを得なかった。その頃、父、母、兄、私の4人は冷蔵庫にキムチ、台所に米が置いてない生活にはもう慣れていた。だから学校で無料で出る給食が授業よりいつも待ち遠しかった。それは私にとって高級のレストランで出る半焼けくらいのステーキよりごちそうだった。
 中学校の1年生のころ、やっと田舎から離れて、都市に引越しした。2年生になってからも下位の成績だった私だったが、この頃から勉強の欲が沸いてきた。金銭的に大変だった家族に「問題集を買いたいからお金ください」と口にできなかったが、勉強がしたくて学校から帰ると、一日たりとも疎かにせずに復習と予習をし始めた。試験の結果が出た日、私の成績は上がっていた。37位から15位という成績だった。うれしさのあまり皆が見ている前で泣いてしまった。努力の結果だと思った。
 しかし、貧しさと精神的に複雑な思いから、高校を退学してしまった。マクドナルドやゴルフキャディなど、自分に向いてないと知りつつも、生きるために懸命に働いた。仕事を終えてから家に帰る途中、水溜りに映されている自分の顔を見たとたん目から涙が出てしまった。「このままではいけない」と思った。瞬間、留学という言葉が頭をかすめた。
2005年10月1日、今まで貯めたお金を持って日本に向かった。そして私の夢を切り開く留学生活が始まるのであった。
 10月3日、日本語学校に入学した。初めての留学で私の胸はときめいて、好奇心で一杯だった。このように始まった留学の生活がもう2年になっている。普通2年のコースで1級を目指して勉強すると聞いた。しかし、それは時間の無駄遣いだと思った私は、水溜りができる雨の日にも、雪の女神が風の女神に戦いを挑んでいる冬でも、学校や図書館やアルバイトを繰り返しながら、努力した。その結果、1年2ヶ月間で1級に合格することができた。「今すぐ簡単な努力でできる日から始めて一応成就感を味わっておけば、後にある難関が近づいてもそれを突破する勇気が湧くものだ。努力をするということはそんなのであることだ(竹内Hitoshi)」この言葉はインターネットyahooサイトで見つけた。この言葉を励みにした。
 2006年、ついに松本大学に合格し、入学した。すぐ日本語での講義が始まった。すべての講義が日本語であった。瞬間、私の頭の中は真っ白になってしまった。何も分からなくて、どうしていいのか戸惑った。しかし「これは始まりに過ぎない。このくらいできなかったら今、後本当に自分がやりたい仕事が見つかっても乗り切れない」と思った。まず簿記の授業で「買掛金、売掛金」などの専門用語を覚えた。そしてコンピュータと関連がある講義は講義が終わるたびに先生に聞いてみたり、1時間くらいの時間をかけて復習してみた。その中で一番苦労した講義は日本国憲法だった。日本の学生さえ理解しにくいと言っていた講義を、なぜ履修したのか後悔したが遅かった。その講義をどんなに聞いても内容を把握することは私には無理だった。理解するために友だちを引き止めて聞いたりもした。先生の研究室に行って聞いたりもした。半分くらい分かったような気がしたが、でも半分分からない。その時日本語を勉強していたとき同じクラスだった中国人のことを思い出した。「チャンさんは、まだ日本に来て日が浅いから1級は無理だと思うよ。2級に挑戦したら可能性があると思うけどね。」中国人の特有の発音でこういいながら、1級を申込んだ私をあざ笑った。結局私は337点という点数で合格して、その中国人は260点くらいで20点くらい足りなくて不合格だった。あのときは悔しくて目標を果たすために頑張ろうとした。「今度も、もうちょっと頑張ろうか。」と思った。分からない単語を聞くたびに電子辞書に入力し、バイト先の休憩の時間や電車で覚えたり、バイトが終わってからも家に帰って日本国憲法のノートを開いて9条のことなどを調べたりもした。眠くなって机の上で寝てしまったりもした。気がついたらノートは私の唾液に濡れていて、ペンで書いてある字はその中で溺れてしまっている。その後から必ず鉛筆で字を書くことにした。努力は誰でもできると言いながら、みながうまくできない。しかし、自分が努力した分だけ成就感は大きいと思う。
 試験の日、今まで頭の中に入れていた日本語や知識を出す日だった。まだまだ不足であるが、みなに自分の努力を見せたくて、ほかの試験はもちろん日本国憲法の試験の時、日本人の学生に負けたくない気持ちで試験の問題を解いた。その後、夏休みになってから1ヶ月2週間過ぎた。試験の結課が届いた。言葉には表せなれないくらいに嬉しかった。全部AでSが二つ!!Sがあるなって信じられなかった。
 このように私は変わっていた。あんなに努力を嫌っていた私は今ここにはいない。留学を通して、努力の大切さを知って、そして成長した。私は私を後ろで応援してくれた友達、先生、そして家族の存在も見えてきた。あのわがままな父さえ、いなかったら今の私も存在していないだろう。自分だけの努力では絶対成功はできない。陰で支えてくれた人たちのことを忘れてはいけないと思えるようになった。